本日2025/03/11は
東日本大震災から14年目の日。
今日は節目の日が与えてくれるもの、
について個人的な意見を綴っていきます。
節目の日がくれるもの
3.11だけでなく、
一年を通して災害の節目の日が、
毎回くれるもの、
それは忘れている想いです。
「生かされている」ということ、
「日常こそ幸せ」だということ、
言葉にするととてもチープで
使い古された感じがしますけど、
でもここにたどり着くのです。
このように思うようになったきっかけは二つ。
災害で友人を亡くしたことと、
所属している団体との出会い、
実際に被災地へ行くようになったこと
災プロとの出会い
私が所属しているボランティア団体、
「災害鍼灸マッサージプロジェクト」
は東日本大震災の時に作られました。
当時私は団体のことは知りませんでしたし、
自分自身は妊婦でした。
とにかくお腹の子を守らなくては、
と自分の生活でいっぱいいっぱいでした。
それがご縁をいただき、
広島の豪雨(平成30年7月豪雨)
の時に初めて参加しました。
それ以来立ち上げスタッフの方々とも
一緒に被災地へ行き、
彼らの背中を見させてもらいながら
日常の有難さを痛感しました。
活動中は自分の生活があること、
安全な場所がること、
が幸せなのだと感じていました。
しかしそれもすぐ忘れちゃうんですよね。
イライラや不満
当たり前の毎日が幸せだとわかっていても、
日々母ちゃんとしてイライラガミガミ、
家族への不満を募らせております。
これは日常が平和で安全だからこそ。
また自分も家族も元気だからこそ。
だからどんどんハードルが高くなって、
”あれやってないじゃん”
”何でやってくれないの?”
”何ども言わせないで!”
と「安心して」不機嫌でいられるのです。
生きているだけでOK
というとこまでハードルを下げたら、
不満もイライラもなくなるのに。
節目の日の意味
このような日常の中で
節目の日があるからこそ
思い出させてもらえるのです。
日本に住んでいる限りは、
地震による被害はなくならないし
気候変動により豪雨も増えています。
被災地へ行っていた私も
明日は我が身だと思います。
そのような中で
生かされていること、
自分の「お役目」?があること、
これらを思い出させてくれるのが
節目の日です。
生きているだけでOK
家族や他人に不満が募った時は
これを思い出そう。
震災により影響を受けた方々に、
心よりお悔やみ申し上げます。