本日は学びになるような情報や
セルフケアの話ではありません。
戦後80年という節目の夏に、
今私が感じていること、
心に浮かぶ思いをそのまま綴ります。
よろしければお付き合いください。
特別な8月
毎年8月は私にとって特別な月です。
自分の誕生日と、広島・長崎への原爆投下の日があり、
自然と「生」と「死」に思いを巡らせてしまいます。
今年は戦後80年という節目でもあり、
思い切って正直な気持ちをかきます。
未だ答えのない結論なんですけど
記録として残したいと思っています。
広島で育った日常と平和教育
私は広島で生まれ、広島で育ちました。
物心ついた頃から、
8月6日8時15分、
8月9日11時2分に黙祷を捧げるのが当たり前。
黙祷の意味を知らなかった時から
サイレンが響く中1分間の黙祷をする、
それが8月の当たり前でした。
幼稚園から高校まで
「平和教育」という名のもと、
平和についての授業も受け続けました。
その中には素直に学べないものもありました。
幼稚園の遠足から始まり
小学校中学校でも訪れた原爆資料館。
毎回吐きそうでした。
中学か高校の時は、
残酷な映像や画像を見せられた後、
目を覆い俯くと、
”目を背けるな!”
と言われたこともありました。
このような半ば強制的に学ばされる中で、
拒否反応を覚えた時期もあります。
それでも、祖父母をはじめ、
戦時中に大人だった方たちの体験談を聞くことで、
戦争を知らない三世の私にも
伝えていかなければ
という思いが芽生えていきました。
戦争体験を直接聞けなくなる時代
令和の今、戦時中に大人だった方の多くは
すでに亡くなられています。
実体験を直接聞ける機会は
ほとんどなくなっています。
当時20歳だった方も、
今は100歳。時の流れを痛感します。
私は母となり子どもたちと共に
毎年黙祷を続けています。
事実や正解を完璧に伝える自信はありません。
それでも、命が繋がれてきたからこそ、
今の私たちが生きていること、
この奇跡と尊さは伝えていきたい。
「みんな」が命のバトンを知れば
それが平和に繋がるのだと信じています。
小さな平和の形
とはいえ「世界平和」とは何か?
私にはよくわかりません。
しかし今の子どもたちにとって希望のある、
平和な日常を守るために、
自分に何ができるのか?
これを考え行動することはできます。
答えはまだ見つかっていません。
それでも、考え続け、
語り続けることこそ、
私にできる平和の形だと思っています。
終わりに
ここまで公で発信したのは初めてです。
日記のような想いを公開しようと思ったのは
二つの理由から。
一つ目は戦後80周年という節目。
二つ目は人生の折り返しを過ぎた私が子どもたちのために
”何を残せるだろう?”と真剣に考え始めたこと。
繰り返しますが未だ答えは出ていません。
しかしこうして発信をしたことで
まずは一歩を踏み出したと思っています。
長々と想いをつづりましたが、
ここまで読んでくださりありがとうございます。
私のブログの影響はほんの小さなものだけど
一年に一度、8月だけでも
ちょっと立ち止まって
考えてもらえるきっかとなれば
幸せなことです。
